私たちの「運」は、無意識と意識サイドのせめぎあいから生まれています。これを踏まえると、運がままならないものである理由がよくわかります。
意識は無意識も含めた心全体から見ればごく一部に過ぎず、その力がどんなに強くても全体を支配できません。意識にとって無意識は、比べようもない程に強大な存在なのです。
また私たちは、「意識が無意識や衝動エネルギーを認識しようとする働き」にも制約を受けており、制約されていること自体にも気付けません。言わば認識能力を〝封印〟されたような状態で、自分よりもはるかに強い相手とせめぎ合っているのです。これでは優位に立てるわけがありません。これゆえ、運は人智の及ばないものとして扱われるのでしょう。
なお、無意識の制約は、必ずしも意識サイドの足枷になるばかりではなく、ときには支援するようにも働きます。制約に足を取られたときの様相を「運が悪い」と感じ、後押しを受けたときの様相を「運がいい」と感じるのです。
支援になるなら「制約」という表現はなじまないと思われるかもしれませんが、足枷になろうと支援になろうと、無意識は、あくまで衝動趨勢に沿って意識サイドを動かそうとしているだけです。そういう意味ではやはり制約と言わざるを得ません。