今回は、「いつも死が身近にあった」に続いて、私が無意識の探究を始めるまでの道筋についてお話ししましょう。
私は、幼い頃から人間という存在についての疑問を抱いており、そのうえ、常に「死」を身近に感じる家庭環境で育ちました。
そんな中で、いつしか「もう一人の自分」という考えが芽生えました。普段、何かを考えたり、感じたりしている自分を「表の自分」とするならば、心の中に、それとは別の誰かがいるのではないか、ということです。
きっかけは葬儀社を営んでいた祖父から聞いた話です。風邪ひとつひかない元気な女性が五十代で急死しました。彼女は亡くなる直前に、自らの死装束を用意していたそうです。祖父によれば、似たような話は、さほど珍しくないといいます。
なぜそんなことが起こり得るのかと考えるうちに、然るべき時に支度を促す何者かが私たちの内側に存在するのではないか、と思うようになりました。
成長するにつれて、「もう一人の自分」が存在するという考えは確信となっていきました。こう考えると、周囲の人々の行動の意味がよく理解できたからです。
ケンカをしながらも別れない両親、どうしても気の合わない友達、やめようとしてもやめられないクセ、お酒を飲むと性格が変わる人、普段は冷静なのにある事柄にだけ感情的になる先生。もう一人の自分がそうさせていると思えば、多くのことが腑に落ちました。
もう一人の自分は、隠された本音などとは次元が異なるもので、本音と建前を使い分ける表の自分の、さらに奥にいる存在です。
後に、もう一人の自分には「無意識」という名前があることを知ったのでした。