なぜ「無意識」なのか

有限会社創運舎のブログです。 創運舎は、無意識から湧き上がる「衝動エネルギー」の働きを踏まえて、心と環境を安定させる指導を行なうとともに、無意識の探究で見出した生と死のメカニズムをお伝えしています。

無意識の働き

人生の「隠されたガイドライン」

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ラベンダーライン

私たちは、無意識の制約によって形成された「衝動趨勢」という流れの上で生きており、そこで展開する人生のありさまが「運命趨勢」です。

これらの趨勢と人生との関係は、大海原の潮流と小舟に例えることができます。
私たちは、自分が乗る小舟の下に潮の流れが存在するとは知らずに生きています。そのため、小舟を操っているつもりでも、あらぬ方向へ押し流されたり、思わぬ速さで運ばれたりします。
航路を自由に選べると思い込んでいる人もいるますが、それは潮流が穏やかであるか、流れの幅が広いだけで、ひとたび流れから外れようとすれば強烈な力で引き戻されることになります。

この水面下の潮流が衝動趨勢で、小舟の動きが運命趨勢にあたります。うねる流れのままに小舟が進めば、衝動趨勢がそのまま運命趨勢となり、小舟のエンジンが強ければ、意志や希望がある程度反映された運命趨勢となります。

衝動趨勢と運命趨勢の2つは、データによって作り出された見えない枠であり、人生における「隠されたガイドライン」なのです。

ラベンダーライン

無意識の制約から生まれる人生の潮流

無意識は衝動エネルギーを介して、私たちの意識や環境に制約を加えていますが、その中でも、特別な働きをするものがあります。
それは、4歳頃までの間に深部データから生じる制約です。深部データとは、私たちが生まれた時から無意識の特に深いところに存在しているデータでのことを言います。
そこから幼い頃に生じる数々の制約は、全体として一つの「流れ」を形成し人生の大枠を決めているのです。この流れのことを私は「衝動趨勢」と呼んでいます。

衝動趨勢は、深部データの属性や強さに沿った、固有のスケール、性質、勢い、時間軸を持つ潜勢的な流れです。その動きは単調ではなく、スピード、向き、広がりなどを変えながら、うねるように流れ、動きを止めることもあります。
あるいは、他者の流れと交わったり、引きずられたりもします。それでも基本的なベクトルから外れることはありません。

私たちの人生は、衝動趨勢に誘われるがごとくに展開しており、そのありさまを私は「運命趨勢」と呼んでいます。

ラベンダーライン

無意識は、二つの作用によって私たちを制約する

私たちは、無意識から生じる衝動エネルギーが持つ、「強制」「投影」という二つの作用によって制約されています。

「強制」作用とは、衝動が意識活動に偏向を与える働きです。
無意識に蓄積されたデータが動き出すと、衝動エネルギーが生じ、まず、私たちの心をデータの属性に沿った方向に誘います。
例えば、怒りや支配性のデータから生じる衝動は、感情や判断に排他性、冷酷性、残忍性などをもたらします。
怒りっぽくなる、バイタリティが高まる、冷酷かつ高圧的になるなど、現れ方や程度は人それぞれですが、すべての人の意識活動が、本人の意志とは関係なく、普段よりも排他的、支配的な傾向を帯びることになります。

「投影」作用とは、衝動がデータの属性に沿った環境を外側に作り出す働きです。
この作用は、衝動を体現するような状況や人間関係を引き起こしたり、現実の出来事を介して衝動の質に沿った心の状態をもたらしたりします。
怒りや支配性のデータで言えば、会社や学校で誰かをのけ者にしてしまうなど、排他性、冷酷性を具現する出来事が起きます。また、苛立たしい言動をする人と一緒に働かざるを得ないなど、怒りの感情が刺激されやすい状況が生じるのです。

意識の活動のみならず、現実の環境までが、衝動エネルギーによって変化するなどとは考えにくいという方もいるでしょう。
しかし、「事実は小説よりも奇なり」と言うように、衝動の質を体現するような出来事が、思いもよらない時に、信じがたい確率で起こる例は枚挙に暇がなく、無意識にはそれだけの力があるのだと痛感せざるを得ません。

無意識からの制約

無意識から生じる衝動エネルギーは、〝無意識の見えざる手〟として、私たちの意識や環境に影響を及ぼしています。

感情、嗜好、欲求、認識、判断、選択など、私たちのあらゆる意識活動に対して、衝動エネルギーは様々な制約や制限を加えて、基本的な性格を方向付けたり、思考や言動を偏向させたりします。
それに止まらず、その人が置かれる現実の状況までも変化させ、人生の禍福を作り出します。
私はこの働きを「無意識からの制約」あるいは「無意識の制約」と呼んでいます。

制約のありさまは、鉄板焼きに例えることができます。衝動エネルギーの炎の上で、鉄板が熱く焼けています。そこに乗せられた肉や野菜が我々です。
炎の強さや広がり具合に応じて、焼かれた肉がブルブルと震え、野菜がはじけます。それは、衝動のストレスに意識が耐える様や、衝動によって環境が変わってしまう様そのものです。

このように私たちは、無意識の制約下に置かれたままで人生を送ることを余儀なくされているのです。

無意識はデータの塊

「無意識はあなたの願いを叶えてくれる」「無意識は何でも知っている」など、巷間ではしばしば、無意識が万能の味方であるかのように語られます。
しかしこれは、無意識の働きのうち、都合のいい部分だけを誇張しているに過ぎません。

無意識には、一般に認識されていない多くの働きがあります。中でも私が最も重要だと考えるものは、我々の経験を最深部のエリアに保存・蓄積することです。
保存・蓄積と言っても、「覚えている」「記憶している」ことを指すのではありません。黒鉛に一定の条件を与えるとダイヤモンドに変質するように、経験は無意識に蓄積される過程で質的に変換され、私が「データ」と呼ぶ状態になります。
言うなれば、無意識はデータの塊なのです。

データは無意識に蓄積されたまま、生涯潜み続けるわけではありません。
何かのきっかけで表層部へと動き出し、自らの属性を心や環境の上に具現しようとします
この時、動き出すデータによって力が生じます。これが「衝動エネルギー」であり、「内側の力」のうち、現実世界に影響を及ぼす部分です。
つまり無意識は衝動エネルギーの源泉にあたります。

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